歴史

銀・シルバー

銀(Silver)は一般に鉛の鉱石である方鉛鉱(galena)に多く含まれていて、
この鉱石を加熱して鉛(Lead)を取り出すと、その鉛の中に銀も溶け出していて、銀を含んだ鉛が出来ます。
更にその銀を含んだ鉛を加熱して鉛を溶かすと銀は溶けずに残ることから鉛から銀を分離することができる(灰吹法cupellation process)ので、鉛の歴史はほぼ銀の歴史と同じです。

3000BC頃に鉛から銀を分離することができるようになったと考えられています。

古い時代代(3000BC以降)における銀の主の供給源として知られているのは現在のトルコのアナトリア(Anatolia)地方で採掘され、
当時、文明が進んでいた小アジアやギリシャ周辺に供給されていました。

2500BC頃に鉛と銀を含んだ鉱石からによって銀を精錬した残渣(灰吹法)が現代のアルメニアで発見されていています。

1600BCごろミノア文明(Minoan civilization)の壊滅、1200BCごろのミケーネ文明(Mycenaean culture)の衰退し、ギリシャ文明の発展に伴って銀の生産いがアテネの近くのラウリオン(Laurion)鉱山に移り、紀元前8世紀ごろにはギリシャの銀が小アジアから北アフリカ一帯にまで取引されるようになります。ラウリオン鉱山は紀元1世紀ごろまで約1000年間続きます。

その後、古代カルタゴ人がスペインで銀の鉱山を開発しヨーロッパの主要生産地になりますが、
ローマとカルタゴのポエニ戦争(149-146BC)によってローマ帝国の支配下に移り、ムーア人の侵入によって中断され、700-1200年ごろまでにはハンガリー鉱山やドイツのランメルスベルグやフライベルグの銀の鉱山が開発され、
ヨーロッパ中央部生産地が移動します。

1492年にボリビア(Boliviaペルー)のポトシ(Potosi)地区(世界遺産)でアマルガム法(amalgamation process)が開発され生産効率が向上して生産量も増加しました。

16世紀中ごろ、新大陸に侵入した征服者達が鉄砲の弾丸用に鉛を現地調達する必要があったためと考えられていますが、

メキシコのサカテカス銀山(世界遺産)が発見され、この鉱山の鉛には銀が多量に含まれていて、鉛の鉱山は銀の鉱山としての開発されることとなり、1700年代になると1200年代の生産量の10倍に達するようになり、さらに、銀の生産量の大部分が南米で生産されるようになります。
この銀の生産量の増加は、銀価格の低下をまねき、銀貨の価値が低下したことから、当時の多くの国が採用していた通貨制度である銀本位制が揺らぐことになりました。産業革命で貿易黒字を膨大な金で保有していた英国は1816年に価格が安定している金貨を基本とする金本位制に移行することになりました。

1850年に米国のネバダ州でコムストック(Comstok)鉱脈が発見され、1870年代になると生産量は更に数倍に増加しました。

1920年代になると新鉱脈の発見と精錬法の改良が進み、更に数倍の生産量に達しました。

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